「本を読む、本を読めば、本を読もう。」
昨今の学生は本を読まない、と言われている。いやそれをここでとやかく言うつもりはない。ワタシも学生のときはほとんど本読まなかったので偉そうなことは言えない。ただ、いずれワタシと同じ後悔をするはずだから、ちょっとだけ個人的なことを記すことが学生たちの参考になるだろうということは信じている。
本は好きな子どもだった。全校生50人くらいの僻地の小学校だったので図書室に大した蔵書はなかったが、3年生になって貸出カードをもらってから毎日のように通った。偉い人の伝記をたくさん読んだ。好きだったのはシュバイツァーではなく小林一茶の伝記、野口英世ではなく一休さんの伝記だった。文庫本との出会いは6年生のとき、兄が通う高校の文化祭に行き、古本市みたいなところで100円で買った集英社版「坊ちゃん」の古本。その後本屋さんで小さくてお小遣いで買える値段で種類がたくさんあるのをみて心がおどった。初めて本屋さんで買ったのは北杜夫の「船乗りクプクプの冒険」、こんなテキトーな話もあっていいんだ小説って面白いなという体験だった。
中学に入ると友達が海外文学に手をだした。モームの「人間の絆」は中学2年の時に読んだが、人生には意味はないがそれでも美しいというのは厨二病の男子には結構すんなり入った。
高校は大学入試のための予備校と思っていたし、ロックバンドの耳コピと落語研究会でネタを覚えるのに一生懸命で読書からは遠ざかった。それでもドストエフスキーはだいたい読んだ。「罪と罰」は面白かったが「カラマーゾフの兄弟」は意味不明だった。カラマーゾフはその後3回読んだのだが、やっと全体像がつかめたのはつい最近、4回目の読後だった。
で、大学ではこれまた学校の勉強が大変で実習が忙しくて本を読む暇がなかった、といえばそれは嘘で、学生のときは学生のときにしかできないことをしよう、勉強は卒業してからもできるから勉強以外のことをなんでもやる、という基本的な姿勢を貫いた。ジャズバンドでサックスを吹き、ボート部でボート漕いで銀メダルとった。ということで試験前に友達のノートをコピーして暗記して過去問やって、単位取ったり落としたりでやっと卒業したのだが、働き始めるとますます本など読む時間はなくなってしまった。
研修医になった。後悔した。まさに後悔が先にたった試しはない。せめて教科書読んでおけばよかった。経験がない人間は知識で闘うしかないのだ。目の前で生きるか死ぬかの人がいるのに、自分の知識のなさで人が死ぬかもしれないのに、ネットもない時代は人が寝静まった深夜に図書館にダッシュして教科書の原典を開き論文を引き手帳にメモをし、読書とは言えない本との付き合い方をした。
大学病院には10年勤務したが、このまま働いていたら過労死するか過労自殺するかのどちらかだなと悟ったので退職して東ティモールに行った。南の島の途上国は時間がゆっくり流れていて、もしかしてこれは本を読む時間ができるのではと期待したけれど、ティモールには本屋さんがなかった。一時帰国や休暇帰国で日本に帰った時に大量に文庫本を仕入れて船便で送ったが、荷物が地球のどこをどう回ってきたのか、2年間の勤務が終わる直前に届いた。親の仇を討つような勢いで読んだ。日本語の活字が目に優しい。いくらでも読み続けることができた。そう、ワタシの読書らしい読書歴はティモールから再スタートしたと言えるのだ。
東ティモールから帰国して15年で、約3,000冊の本を読んだ。ここ数年は毎年およそ300冊「マンガ」を読んでいる。マンガは好きだ。「サザエさん」と谷川俊太郎訳の「ピーナッツ」を皮切りに、ラブコメ、歴史物、ファンタジーでもSF未来ものでもBLでもジャンルは限定しないで読む。最も大衆的なアートであるとも思う。
「マンガ」は侮れない。ワタシの人生はマンガが決めた。50年前(!)、手塚治虫の「ブラックジャック」が決めた。本間丈太郎が言う「生き物の生き死にを人間が自由にしようなんて、おこがましいとは思わんかね」の世界。
学生諸姉、本を読もう。SNSの断片的な誤り有害情報と誹謗中傷?無責任ないいねに振り回されない、読書をしよう。今できる読書は今しかできない。今ここでの経験がこれからのあなたを作るのだ。無駄な経験はないのと同じで、無駄な読書はない。
教員の研究室を訪問してみよう。そこには教員それぞれの蔵書がある。教員たちの研究遍歴?読書遍歴を蔵書からたどるのは面白いぞ。ワタシが読んだ本に興味があったらこちらから。
(文責:塩川 宏郷)