2018年度 函館研修旅行
研修地の風土(函館)と、その風土に関わる文学者たち(石川啄木?亀井勝一郎?久生十蘭?井上光晴など)に関する事前?事後の学習?作業を踏まえながら、文学の生まれた土壌(言語を含む)に直接触れる体験を通して、机上の学習では得られない発見や理解へと導くとともに、さらに関連する分野への興味を広げることを目的としたものです。また、学生達は、現場に立つ、実物に触れることの大切さも学びました。また、これらを通して学科の専門科目を学ぶ上での意識を高められたと思います。
研修は1年生2名、2年生8名、引率教員2名の12名で、2018年9月5日から9月7日までの2泊3日で実施しました。9月6日未明には北海道胆振東部地震に遭遇しましたが、幸いのことに学生達には全く怪我はなく、元気に研修を終えることが出来ました。日程は以下の通りです。
一日目 |
羽田空港発函館空港着、函館市内宿泊ホテルチェックイン、 啄木小公園、啄木一族の墓、立待岬、青柳町散策、亀井勝一郎文学碑、函館山?夜景見学、 函館市内ホテル宿泊 |
二日目 |
ホテル発(終日貸し切りバス利用)、函館市市縄文文化交流センター(中空土偶<道内唯一の国宝>)、大沼公園散策見学(昼食)、トラピスト修道院、五稜郭タワー、函館奉行、函館市内ホテル宿泊 |
三日目 |
ホテル発、青函連絡船摩周丸見学、函館市文学館、金森赤レンガ倉庫、八幡坂、旧函館区公会堂、旧イギリス領事館、函館市北方民族資料館—トラピスチヌ修道院等、函館空港発羽田空港着 |

石川啄木一族の墓(一日目)
石川啄木(明治19年2月2日~明治45年4月13日)の足跡を訪ねることが大きな目的でした。啄木が函館に滞在したのは明治40年5月から同年9月までの短い期間にすぎないのですが、故郷の渋谷村(現盛岡市)を出てから、唯一、穏やかな生活を送ることができた町でした。函館では弥生尋常小学校の代用教員や、函館商業会議所臨時雇、函館日日新聞社遊軍記者という職も得ていました。また文学結社「苜蓿社」の仲間と活発な交流を行ったのもこの地でした。短期間でしたが、中身の濃い幸せな時間を過ごしました。啄木の墓は、函館の立待岬にあり、家族とともに眠っています。またここには啄木の「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」の歌が刻まれています。

大沼公園(二日目)
二日目の未明には北海道胆振東部地震があったわけですが、終日貸し切りバス利用の予定でしたので、移動には支障はありませんでした。ただ北海道全域で電源が喪失していたために函館市市縄文文化交流センターは開かれておらず、道内唯一の国宝である中空土偶を見ることは出来ませんでした。幸いのことに大沼公園は遊覧船も含めて通常の営業でしたので、駒ヶ岳を望む北海道の豊かな自然を満喫しました。学生達は公園内の句碑も見つけていました。

青函連絡船 摩周丸見学(三日目)
青函連絡船も啄木と関わりがあります。摩周丸ではありませんが、啄木は函館移住のため妹の光子と陸奥丸で津軽海峡を渡っています(明治40年5月5日)。悪天候であったようで、光子が船酔いする様子が『啄木日記』に記されています。